invisible world
造形教室で4歳児と過ごしていた時、
自分の名前をはじめて書く、
という場面に遭遇することがあった。
「わたし」と「せかい」は分けられ、
より自他の境目が明らかになっていく。
視ることは対象化すること。
ヒトは自分の内も外も
およそ見られるものは何でも見ようとしてきた。
見て、名付け、分類していく。
紙風船に反転した世界地図を焼き付けた。
ミクロの目もマクロの目も手に入れて、
見えなくなったものは何だろう。
fossil words / letter
手紙には、世界各地で今も話者が減り続けている
少数民族の言語を転写した。
laskargayb ラシカルガイプ 一過性の妖精の大群 /コワール語 パキスタン
nating ナティン 唯の、特にさしたることのない /トク・ピシン語 パプア・ニューギニア
WASÁÚ バサーオ たどり着けないほど遠い /ポポロカ語 メキシコ
出典:吉岡 乾 著「なくなりそうな世界のことば」創元社 2017年
Where is my candy?
Poland/1952-1989
キャンディーの包み紙には
民主化前のポーランドの日用品の意匠を転写している。
時代の転換期に
様々なバランスの狭間で揺れ動く多様な文化。
価値の保全や記録としてではなく、
その不在を識るための窓として焼き付ける。
Where have you gone?
Czechoslovakia/1918-1992
シャツのボタンやカフスにはチェコスロヴァキア時代の意匠をかたどっている。